
2026年6月26日、法務省は子どもの名前に「弥勒(みろく)菩薩」の「勒(ろく)」という漢字の使用を認めました。
これで人名に使える文字はちょうど3000字。
3000字目に「弥勒(みろく)菩薩」の「勒(ろく)」が登場したのは決して偶然ではありません。
必然なのです。
三千世界一度に開く梅の花。
大本教の開祖、出口なお氏はお筆先でこう予言しました。
だから、「勒(ろく)」の字は3000字目なのです。
三千世界一度に開く梅の花、弥勒(みろく)の「勒(ろく)」の字はなぜ3000字目の人名に使える漢字となったのかを解説します。
3000世界の梅の花は一度に開く
大本教は「みろくの世」を三千世界の花が一気に開く、そんな世界だと表現しました。
万葉集では花といえば梅。
奈良時代までは「花」といえば梅を指しました。
その梅の花が、三千世界に一気に咲く。
三千世界とは、仏教用語で広大な宇宙観を表す言葉で、人類全体を示すと考えても良いのですが、その三千世界に、冬の寒さに耐えた「梅の花が一気に咲くようにみろくの世は到来する」と大本教の開祖、出口なお氏は言ったのです。
ですから、「弥勒(みろく)」の「勒(ろく)」の字は1000字目でも、2000字目でもなく「3000字目」にこそ人名漢字として、登場しなければならなかったのです。
弥勒菩薩は人類の歴史に登場し、広大な三千世界にあまねく光を及ぼし、世の中の建て替え・建て直しの神仕具実(しぐみ)を一気に実現させます。
その形を示さなければならなかったのです。
それを証(あか)しするために、絶対に3000字目の登場となったのでした。
花は桜ではなく梅なのか
では、大本教のお筆先ではなぜ「花」を桜ではなく梅と表現したのでしょうか。
ここにも意味があります。
「梅」は「埋(う)め」に通じるのです。
大本教ではみろくの世に「丑寅(うしとら)の金神」が復権すると予言しました。
学校も出ていない、読み書きもできない出口なお氏が書き記していったお筆先。
そのお筆先で復権すると予言し続けた「丑寅の金神」とは国常立大神のこと、すなわち地の最高神です。
人類が炒り豆をぶつけ、鬼門に追いやり、埋めてしまった地の最高神である国常立大神は、いずれ埋められた状態から脱し、地上に復権すると説きました。
これがみろくの世。
「埋(う)め」が「梅」のように花開き、人類世界に登場することで「みろくの世」は到来すると予言したのです。
それが人名漢字の3000字目に「勒(ろく)」が登場した今なのです。
ノストラダムスは「アンゴルモアの大王を蘇らせる」と予言した
ノストラダムスも国常立大神様のご復権を予言しています。
ただ、出口なお氏のように丑寅(うしとら)の金神、国常立大神と表現しなかっただけのことです。
代わりに、ノストラダムスは「アンゴルモアの大王が蘇る」と予言しました。
しかし、結局は2人とも同じものを見ています。
「地の最高神」の復権です。
ノストラダムスは「空から恐怖の大王が来る」、つまり天の「す神」が人類の世界に登場することで、地の最高神であるアンゴルモアの大王もこれに応え、復権すると言ったのです。
天と地の最高神が、人の世に登場する、これこそが大本教でいう「みろくの世」の到来なのです。
まとめ
三千世界一度に開く梅の花、弥勒(みろく)の「勒(ろく)」の字はなぜ3000字目の人名に使える漢字となったのかを検証しました。
3000字目に「弥勒(みろく)菩薩」の「勒(ろく)」が登場したのは偶然ではなく、必然でした。
それは天と地の最高神が人の世に登場する「みろくの世」の到来がたった今、実現されようとしていることを証(あか)しするためでした。
三千世界一度に開く梅の花、弥勒(みろく)の「勒(ろく)」の字はなぜ3000字目の人名に使える漢字となったのかを検証しました。
